小川町とは
小川町(こがわまち)
長崎市桜町(市役所付近)を下ったところ。立山から流れる小川(岩原川)があったので小川町の名ができました。旧船津町に近く、長崎開港後比較的早くできた内町と伝えられます。戦前までは今の瓊浦公園付近まで続く大町でしたが、戦時中の建物疎開で町の片側が強制疎開になったことや(今の桜町公園)、桜町の立体交差化による区画整理により町の規模が大幅に縮小されたうえ、昭和38年(1963年)11月の町界町名変更で、現桜町・金屋町・恵美須町・上町の内に分割されました。郷土史家の先生によると小川町は昔「こがわまち」と呼ばれていましたが、路面電車の停留所が「おがわまち」と読まれ、次第に「こがわまち」と言われなくなったのだそうです。
長崎くんちの時にのみ耳にする町ですが、昔からの呼び名である「こがわまち」として、くんちに関わっています。
下の写真は「稲荷社(梅岡稲荷大明神)」
現在と昭和40年の年番町を務めた際のもの
上の写真は「昭和8年のコッコデショ」
小さな町
おそらく、長崎くんちの踊町の中で一番小さな町です。当然、くんちに関わることができる人間も限られており、他の町内の方から「そんな人数でやっているの!」と驚かれます。準備から本番まで一人何役とこなしているため、誰一人として欠けることができません。しかしながら、くんち本番では中尾の方、各々の知り合いの方が協力していただき大勢の皆さんが加勢をしてくれます。
今は正式な町名としてはなくなっていますが、自治会として独立していますし、お稲荷(梅岡稲荷大明神)さんも存在し、毎年、秋には祭礼も催しています。
傘鉾
傘鉾に関するものは何も残っていない状況でしたが、平成16年に構想から5年以上の歳月を経て、71年振りに新調しました。垂は、塩瀬(※1)緋色ぼかし、流水織出しで三社紋・楓・蛇籠・葦・岩・2匹の鯉を長崎刺繍で配しています。回ると、右の写真のように2匹の鯉が現れます。飾りは、水堰・四つ手網に二羽の鷺を、左右に葦・あやめを配しています。輪は川にちなみ蛇籠になっています。
明治の頃に書かれた絵をもとに忠実に再現したので、下にあります最後の傘鉾とは若干の違いがあります。
上の写真は「平成23年 集合写真」
※1
塩瀬とは、生糸による絹織物の一種。経(たて)糸を密にし、太い緯(よこ)糸を用いて平織にしたもので、布面に横畝(よこうね)が現れる。畝の低いものを塩瀬羽二重という。
左の写真は「昭和8年の傘鉾」
明治44年、大正8年、昭和8年の貴重な新聞記事をいただきました。