中尾獅子浮立保存会とは
中尾獅子浮立と唐子踊(昭和43年 市指定無形民俗文化財指定)
中尾獅子浮立は、長崎市田中町中尾に伝承されてきた民俗芸能です。
田中町中尾は長崎市街地の北東部にあって、長崎市に編入された昭和38年以前は西彼杵郡東長崎町矢上に属していました。また、江戸時代には佐賀藩諫早領で彼杵郡矢上村に所属していました。戦後の高度経済成長にともなう長崎市街地拡大の波にも洗われず、小さな山間地にある中尾は今でも農村風景を残しています。
中尾獅子浮立は、中尾にある通称“山ン神様”といわれる大山神社の9月15日の祭りや、長崎市矢上町にある矢上神社の10月17日の祭礼に、4年1巡の輪番制として奉納されています。
獅子浮立が成立したのは記録にはないですが、享保5年(1720年)の諫早家会所掟の39条に「踊り並びに浮立」とあることや、諫早日記の天保5年(1834年)に、雨乞い浮立として矢上村に出演させたことなどと、現在、中尾公民館に保管されている大太鼓内部に明和3年(1766年)の墨書きと、浮立鉦銘に享和2年(1802年)などの年号があることなどから、およそ220~30年前の寛政・享和期に成立したものと思われます。獅子浮立の楽器は笛・鉦・大太鼓・締太鼓からなり、踊りは月の輪の少年男子の2人の庭清めの行事から開始されます(長崎くんちでは唐子踊が代役)。獅子には玉使いがからみ、獅子は大太鼓の牡丹の花に戯れます。獅子頭は現在ベトナムの安南(あんなん)東京(とんきん)風といわれる額に王の字の印があり、頭は扁平です。獅子の胴は蓑といわれ、麻の緒を赤・白・緑・黄・黒の五色に染めて組んだもので、中国華南の獅子の影響といわれています。
獅子は、百獣に君臨する王といわれます。その無敵の獅子でさえ、ただ一つだけ恐れるものがあります。それは、獅子身中の虫です。我身の体毛の中に発生し、増殖し、やがて皮を破り肉に食らいつく害虫です。しかし、この害虫は、牡丹の花から滴り落ちる夜露にあたると死んでしまいます。そこで獅子は夜に、牡丹の花の下で休みます。獅子にとっての安住の地が、そこに在ります。
取り合わせのよいもののたとえとして使われます。
また、幸せを招くと共に厄病退治や悪魔払いとして古くより伝えられており、獅子に頭をかまれると、無病息災で元気で過ごせると言われています。